Enigma


◆ 旧約聖書の言葉についての空想−3 ◆

  参考 1955年改訳:日本聖書協会発行



さて、今回は神々の戦いが一段落したところで、フィクションからノンフィクションに近付けて、本来の聖書に記載された内容に戻ろう。
私は初回より述べているように、聖書に記されている事柄で「純粋に宗教的な内容」を無視するならば、創世記の部分が一番重要で有ると考えている。
その記されている言葉の中に、不適当な「翻訳」や「誤記」は無いものとしてその内容を読むと、宗教に無縁な私には、いやむしろ無関心だからかも知れないが不思議だなと思う言葉に出会うのである。


例の一つを上げると、創世記第5章に、「神が人を創造された時、神にかたどって造り、彼らを男と女とに創造された。彼らが創造された時、神は彼らを祝福して、その名をアダムと名づけられた。」
この章でのポイントの一つは、「神にかたどって造り」はしたが、「神と総て同じにはしなかったのだ」と裏解釈できる言葉である。
何故ならば、「神と総てに於いて同じ」ならばそれは「神」その者であろう。
「神」が「神」ではない決定的な要素を削除して創造したアダムとイブ、しかし何故「アダムとイブを創造しな くてはならなかったのか」、これがこれから述べる「お話」の出発点であり終点なのである。
そもそも、「神は人間にとって何なのか」ではなく、「人間とは神にとって何なのか」である。


あらゆる生物を創造してそれでも飽きたらず「アダムとイブ」創造した。
結論的に言うならば、「神自身の理想」を求めた結果ではないのか。
例えが悪いが、アメリカがその理想を日本国憲法で求めたように、神々の争いに飽きて涅槃の境地を 求めたのである。
だからこそ、神は人を「神にかたどって造った」のである。
仏造って魂入れず、何処の世界に親に創られる前に子が親に何かを望むか、親だからこそ「子に親の何か」 を託し又、子の幸せな未来を望むのであろう。
親の子だからこそ、怒り、悲しみ、喜び、楽しさ、優しさ、非情さ、etc 人間は持っているのである。
だがしかし、この文学的センスのある言葉「禁断の実」を食するまで、それは存在しなかったのである。
何故なら、神がそれを望まなかったからである。
そして人間が神ではない事の「決定的な要素の欠如」、その事が「禁断の実」と関連付けられる時「エデン
の園からの追放劇」の「本当の意味」が見えてくるであろう。
これからの「空想話」は、人類創造の謎が理解出来るかもしれない言葉が聖書の中に残されている事に、
読者諸兄が気付かれる一助になれば幸いである。

 それでは、話を聖書の記述に疑問をもった経緯からの事柄に戻すことにする。 私は久方ぶりにのんびりとしたある日の昼間、居間で家内の聖書を何とはなくめっくているとき、
登場人物の年齢の所に、私の第六感と言うべき働きで目がとまった。
私は、偶然にもめくったペ−ジに年齢が記載されている事に、さすが「聖書」は「歴史書」かなと感心したのである。
そこで「SNK」メンバ−として当然の如く、他にも記載が有るかと思って目敏く捜すと、なんとこれが有るではないか。
興味を一層刺激された私は、記載されて居る人名と年齢を表に書き出してみた。
 (念のため断って於くが、抽出は創世記のみでしかも見落としが有るかも知れないので、興味の有る方は再調査をお願いする次第である。)

 一般的に文章上では、よほど丁寧にその内容を詳細に見ないと個々の数値は判っても、全体的認識が出来ない事を、私は経験上知っていたので表にしてみた。   案の定、今まで見えなかった事柄が表面に出てきたのである。
表に出ている内容を見れば直ぐにわかる事だが、登場人物の寿命の長さは別にして、「聖書」に記載された
登場人物の発生順に各人の寿命年齢の数値が、即ち「死亡年代」が有る時点から急激に下がっている事に気が付いたのである。
寿命が短くなっているのである。
最初は、私は寿命の長さに驚いたことは確かだが、それよりも寿命の変化の方が興味を引いたのである。
其れほどの変化なのである。


聖書に記載されている記載順、名称別年齢表




何故寿命が短くなって行くのかは、この後の内容を読みとってもらえば自然に私の意図と、目的の答えは判る思う。
先へ進もう、「聖書」にはアダムの寿命について「アダムは130歳になって、自分にかたどり、自分のかたちのような男の子を生み、その名をセツと名付けた」と有ります。

意訳とは言え、疑問符を持って読めば変だなと言う感じになる。それは「何故、自分にかたどり」なのか、それは 「神は人を神にかたどり、人は己にかたどる」、まるでクロ−ンではないかと考えるのは、私の
うがった考えなのであ ろうか、それとも「聖書」の言葉の綾か。
寿命の長さの話とは直接は関係ないが、「アダムとイブ」だけと言うことに不自然さを感じる。
 確かに、「アダムとイブ」なのだから彼らと言う呼び方は当然だと考えるのだが、何故か不自然な感じが 拭いきれな いのである。
その払拭出来ない根底には、私自身の常識的ともいえる考え方に有るとは思っている。
その常識な考え方とは、もしかしてアダムとイブは男と女を代表する、(叉は種族を代表)呼称ではないかと考えたのである。
 
その論拠とする点は、宗教の基本的戒律の中にどの宗教にも組み込まれている事だと考えている。
前もって断って於くが、私は聖書を冒涜するつもりは毛頭ないのである。

         「神よ許したまえ」

 しかし、神が創造した人間が二人だけならば、即ち「アダムとイブ」だけで子孫を増やす行為は、結果として「近親相姦」を避けては通る事は出来ない事になってしまうであろう事は常識的結論であると考える。
だが、主たる「神」自身はそれを禁止している、「神々」では無いだろう。
矛盾である、これを解決する一つの答えは「アダムとイブ」以外に人間を創造したという考えである。
もう一つの選択は、本来人類の基本的生物はこの地球上に存在していて、その中から神が「アダムとイブ」を抽出創造した。
最後は、前章の空想にも出てきたように、神々との融合である。
これらのどれを選択したかは別にして、人類は地に満ちたのであるが、しかし寿命が短くなる謎は解けない。
もっとも、「近親相姦」については「創世記の神」と「モ−ゼの神」と「キリストの天なる父」が「同一神」と考えるならばが前提であるが。
 (但し、創世記にはそのように表現された言葉は無い、それに近い言葉としては、モ−ゼの十戒に出てくる言葉「汝、姦淫する無かれ」である)

 どこかの創造神にとって「近親相姦」などは取るに足りない些末事項なのかも知れない。
もちろんの事、聖書の「主たる神」はそのようなことを行うのは、論外である事は疑うべくもない、だが矮小
なる小生にとって、この事は大いなる矛盾として感じるのである。


 本題に戻すと、登場人物の死亡年齢であるが、まず最初にアダムは130歳で「セツ」を得て930歳で死亡した、そしてその「セツ」は105歳になって、エノスを生んだ。
アダムは912年生きたと記され、その後に続くアダムの家系はある時期まで同様の年齢で死んでいるのである。
しかし私の書き出した最後の人物「イシマエル」は、137歳で死亡している。
その一つ手前の「サラ」は、127歳で死亡している、実に「メトセラ」の1/8の寿命である。
この寿命低下の原因はどこにあるのか。


話が混乱してきたので、私が疑問に感じた内容をここで簡単にヶ条書きにまとめ見よう、


1.なぜ、創世記にのみ年齢を詳細に記述しているのか。
2.なぜ、年代が下がるとともに死亡年齢が低下しているのか。

次に、疑問に対して前述と重複する部分が出るかも知れないが、仮説をたててみよう。

なぜ、創世記にのみ年齢を詳細に記述しているのか。

もしも聖書が、後世に伝えるための歴史書として本来担っている事であるならば、当然のごとく重要事件の 後日談として、そのポイントになることを記載するであろう。
 何故なら、人類は知恵は手に入れたが、「命の木の実」は手に入れていないのだから。
その結果がどのようになるかを記録するというより、それとなく匂わせたいのが記録者
のセンスなのかもしれない。

何故私が、ここであえて記録者などと第三者的な人物を登場させたか、「口碑口伝」によるか、「文書」の 保存によるかは別にして、ある特定の集団が居たと考えられる。
世界の歴史考古学上で古代に死亡年代を記録している事はあるが、死亡年齢を系統だって記録しているのは私自身記憶に無いのである。
 本来、「アダムとイブ」には永久に生きないまでも、かなりの生存期間を設定された「DNA」が組み込まれていたのは確実であろう。
だが、寿命の低下原因については、他にも何通りか選択が有り得るのである。
一つは神が、彼らをエデンから追放するとき、彼らに遺伝子情報の書き換えを行ったのかも知れないのである。
やがて、徐々に効果が出てきたのかもしれない。
二つ目は、「近親交配」による弊害が発生してきた結果。
三つ目は、「遺伝的に短命種の人類に近い生物との交配」による結果である。
最後は、前章の空想にも出てきたように、神々との融合後人類間の交配で遺伝子の変化が出てきたのである。
では、寿命そのものについての、数値的な信憑性はどうであろう。

寿命900年の1年が現在の1年より短いと仮定した場合


(1)太陽の公転周期が現在よりも非常な早さで公転していた。

    自転周期が早かった(昼と夜の時間が短かった)
    しかし、現在の寿命を平均90才として計算すると、

   900/90=1/10 現在の10倍の寿命である。

   即ち、10倍の早さで地球時間が過ぎていったと考えた場合、
   計算上は、

   365日/年/10=36.5日/年である。

1日の時間にすれば2.4h/日となり、とうてい妥当と考えられる時間ではない。
故に、多少の変化はあったかも知れないが現実的説明ではないと私は考える。


(2)聖書に記載されているとおり900年の寿命が正しいと仮定した場合、
神は神に型どり人を創った、そしてアダムがイブと共に「エデンの園」に居られる限りでは神に近い寿命であったと考えられる。しかし、禁断の実を食べた事により「エデンの園」から追放される。「エデンの園」が何処の地に有ったにせよ、その地に居たから「神と同じ寿命」とは考えにくい。
明らかに神の意志が働いて神と同じか、またはそれに近い寿命だったたと考える事が妥当な答ではないだろうか。
即ち寿命の長さを調整する技術も持っていたと云う事である。
そして、その裏側にはもっと大きな意味が隠されているはずである。
姿、形は神と同じに創ったと神自身が認めて居るのであるから、それでは神との違いは何なのか発展する知能であろう事は云うまでもない。

 よく云うではないか「全知全能の神と」。

それでは神が創った人が神と「対等」に成ったら何が問題になるのか、そのことは人間のたどった歴史を見れば自ずと答を出した事になるだろう。
しかも、寿命が永遠となれば神の身近くに人間が居れば「神」の存在は風前の灯火と成るのは必定出有る。
 
神の近くに人間が居る事がなぜいけないのか、
創世記第9章5節「あなた方の命の血を流すものには、わたしは必ず報復するであろう。
いかなる獣にも報復する。
兄弟である人にも、私は人の命のために、報復するであろう。」
また、第6節に「人の血を流すもは、人に流される、神が自分のかたちに人を造られたゆえに。」
意味深長なる言葉である、何回も繰り返し読んでいると漠然とではあるが、最初に述べたように私の意図が判ると思う。
 
次に、どうして年代が下がって来るほど寿命が短くなって来ているの、当然誰しも疑問に思うであろう事である。
各々の後継者の出生年を、その親の寿命の1/3平均と仮定し、アダムから寿命年代が明確に聖書に記載されているセムまでの年数を計算してみると、

ノアまでの寿命を平均915歳として

   915歳/3=305歳

セムからエベルまでの寿命を平均480歳として

  480歳/3=160歳


ペレグからイシマエルまでの寿命を平均186歳として

  186/3=62歳

親の生存年と重複するのであるから、最初の親である「アダム」900歳として

 {900歳+(300歳×10人)}+{480歳+(160歳×4人)+{186歳  +(62歳×8人)}= 5702歳=5702年

アダムの誕生年代はキリスト紀元より逆算すると、モ−ゼの活躍した年代より前であるから5702年プラス「出エジプト記」のヤコブからモ−ゼまで推測だが1000年とし、モ−ゼからキリスト紀元迄の年数1300年プラス現在まで2000年を加えると、軽く1万年はオ−バ−するのである。 少なくも、概算で一万年を超える伝承を歴史書としてまた伝承文学として集約された「聖書」の中に、 登場人物の年齢までいれる必要がどこに有るのか。
逆にもしそれが必要であったとするならば、其れそのものも重要なメッセ−ジが託されていると当然考えるべきである。
しかし、聖書を歴史書と見るか、ユダヤ教の聖なる神話と見るかによって、その内容は大きく変化する事が読者諸兄には理解できると思う。
私は、神話を形成する段階での誤謬や、拡大挿入等は当然あった事であろう、しかし基本的なメッセ−ジは組み込まれていると考える。
それは、他の神話と比較しても又他宗教の教典を見ても多分この年齢に関しては、私の考えが当たっていると思うのである。

唐突ではあるが、私の「お話」はこれまでとする、それではまたの機会に紙面でお会い致しましょう。
今回は、文章が前回より一層堅苦しくなり、本来のくだけた調子が無くて面白味に欠けますが容赦願いたい。
物語で無く「お話」であるからには、本当は資料をもっと挿入しなくてはならなかったのであるが、諸般の事情がありそれは、次回の稿

To be continued...


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